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2017年4月3日月曜日

新曲upしました-我が我れ



自分の作った作品についてあーだこーだ説明するのは
かっこ悪いという意見もよく聞きますし、
作品を作るときには
説明せずとも伝わる内容にするか、
受け手の感性に任せるのが1番良いと思うのですが……、

今回は思いつくままに言葉を連ねたため
誤解されそうな歌詞が出来上がってしまい、
誤解によって不快感を与えるのはよろしくないなと思うので、
こんな歌ができた経緯を書き留めておきます。


とりあえず最初に断っておきたいのですが、
「自分のために自分勝手に生きていいよ! 迷惑かけてもいいよ!
他人のために行動する人は偽善者だよ!」
という歌ではないので勘違いしないでほしいです。


言いたいことダラダラ書いてたら長くなっちゃったので
結論から言えば、
自分を殺して他人の言いなりになるなんて人生がもったいない、自分の人生なんだから。
他人の決定権や意志や命を自分の好きに奪っていいと思うな、他人の人生なんだから。
という歌です。


この歌は、
自分に対する後悔というか
10代20代の無駄にした時間について思い返して、
もしも10代のときの自分に助言ができるとしたら……
というコンセプトで作りました。

ブログやTwitterで何度も書いているように、
私の母親は毒親で、
何をするにも母親自身の満足が一番の優先事項。
私の意見、気持ち、やりたいことなどは
ないがしろにされてきました。

母親は自分の思い通りにならないと
すぐ機嫌が悪くなる人でした。
母親の言う通りにしないと
ご飯抜きにされたり、3時間くらい説教されたり、
そうでないとしても ものすごいイライラが伝わってきて
こちらまで不快に。

そういう不快な気分を味わうのはすごく嫌なので、
私が母親に従えば満足してくれて
家の中は平和なのだと自分に言い聞かせて、
平和を守るためには自分の希望や夢や気持ちなどは
捨てるしかないのだと、
全てを諦めている状態でした。

(そこら辺については「操り人形」という歌にしています……
https://youtu.be/BURBQEcisdQ

だけど、今考えれば
とても時間が無駄だったな、
もったいないことをしたなと思っています。
自分の人生なんだから
自分のやりたいことを我慢する必要はなかったんじゃないかなと。

当時の自分は、そんな言葉をかけられても
そんなこと言われたって……と思ったでしょう。
「親に従順にすべき」と洗脳されて
学校以外ほぼ家に軟禁状態で
家にはインターネットもなく携帯電話もなく、
友達や頼れる大人と接触する機会も断たれているんですから。
実際、自力でその環境から抜け出すのは
難しかった、というか
ほとんど無理だったと思います。
逃げ場がなく、「諦めるしかない」と思ってしまっていました。

「自分の人生は自分のもの」と教えられる、今の自分みたいな人間が
過去の自分の傍についていてあげられたら
絶対もっと早く世界観が変わっていたのになぁ。
まぁそういう過去を味わってこそ、今の自分があるんですけどね。

これからは我慢しないで
自分がやりたいことをしようと思って、
現在はあの頃と比べたら充実した毎日を送っています。

今でも、
別に悪いことなんかしてないのに、
例えばファッションとか髪型とか化粧とか、
読む漫画の内容とか、
ふとした瞬間に
「こういうの、『派手すぎ』『汚らわしい』って嫌な顔をするだろうな」と
母親の嫌味口調やしかめっ面を思い出しますが
(母親の価値観では、男女の恋愛はどんなにピュアでも汚らわしく
オトコという存在すら汚らわしい、結婚は失敗 とのことです)、
そんなトラウマに負けないで自分の人生を生きたいと思います。
生きていくぞ、と思って、この歌を作りました。


この歌の中ある
「人のため生きるのは偽善じゃなきゃ自己満足」
という歌詞。

ボランティア活動してる人や、人のために生きることを
悪く言っているのではありません。

誰かのために何かをする、というのは
「この人のためにやってあげたい!」
「見捨てられない」
という、自分の望みを叶える、自分の信念を守る行為であって
それをすることによって喜びや満足を得る。
そういう意味では「自己満足」です。
(もちろん、何かしてもらった側は
「やりたいことやってるんでしょ?」と当然に思うのではなく
感謝するべきですが。)
この自己満足は、自分の人生を自分のために生きていることになるので
歌の中では肯定的な意味になります。

喜びや満足がない場合が「偽善」。
「やってやってるんだから感謝しろ」と見返りを求めるのも偽善かと。

人のために何かするのが、
自分の意志なのか、
本当はしたくないことなのに強制させられているのかで
話はだいぶ違ってきます。

「自分のために生きる」ことと「他人に尽くす」ことは
一見相反するように感じますが、重なることもあり得ます。
「この人の願いを叶えてあげたい」
「この人の傍にいたい」
「この人のためなら死ねる」というのが本心であれば
それがその人の幸せ・望みなので、そうすべきだと思います
(もちろんストーカーとか迷惑行為は別ですが)。

本当は別のことがしたいのに
「この人が、私にこれをやってほしいと言うから……」
というのは自分の意志に反することなので、
自己犠牲を払ってまですべきことなのか
考える必要があるのではないかな、ということ。
もちろん内容によるので一概に「自分の意志を優先しろ」とは言えません。

「やってほしいという気持ちに応えること」と
「自分が本当にやりたいこと」を天秤にかけることになります。

決定権は自分にあります。
誰かに決定を委ねるかどうか、という決定権も自分にあります。
自分で決めたにしろ、委ねたにしろ、
そうしようと思ったのは自分であって、人のせいにはできません。


そんなわけで
自分を殺して誰かの言いなりになっていた過去の自分への
後悔や自戒、
または今現在、過去の私のような境遇にある人への応援、
何かに気づくキッカケとしてちょっとだけ役に立てたらいいなという思いもあり
この歌ができたのですが、

同時に、
自分勝手なことをして人に迷惑をかけることに反対する歌でもあります。


決定権は本人にある。
それを無視して、他人を支配しようとするのは間違いです。
支配していいのは自分だけ。

なんでヒトは上に立ちたがり、エラくなりたいと思うのか。
平等じゃだめなんですかね。
複数人をまとめるためにリーダーは必要かもしれませんが、
リーダーの仕事というのは
暴力や威圧的態度や洗脳やその他強制的な方法で
他人を自分の思い通りに動かそうとすることではありません。

自分の子ども、家族、部下、同僚、クラスメート、
全ての人々は自分の持ち物ではなく別の人間であって、
意志のある生き物です。
良いアドバイスを与えたつもりでも、最終的に決めるのは本人。
他人の意志を握りつぶし、決定権を奪い、
有無を言わせず、強制的に従わせる権利は誰にもないはず。

周りに被害が及ぶような危険なことをしたり、
他人に無駄な時間を使わせたり、
怪我をさせたり殺したりするのも
他人の人生に介入することであって、悪いことだと思います。



自分を殺して他人の言いなりになるなんて人生がもったいない、自分の人生なんだから。
他人の決定権や命を自分の思い通りに奪っていいと思うな、他人の人生なんだから。
という話でした。

※個人の意見です。

2016年12月10日土曜日

「ガタカ」観た



ダーリンのチョイスした映画だったので(映画観るときは ほぼ毎回そう)
前情報ナシで観た(ほぼ毎回そう)。

観終わってから、1997年の映画と知ってびっくり!
ブルーレイだからか映像がきれいだし、
世界観も古臭い感じが全然ないので、
最近の映画だと言われても信じちゃうと思う。
制作年を見て「古い」というだけで観るのをやめるのはもったいない。
映画の評価も星4.5くらいついてる。

イーサン・ホークとユマ・サーマンとかジュード・ロウが出てる。
イーサン・ホークとユマ・サーマンはこの映画がキッカケで結婚したのかな?

舞台は近未来なんだけど、
設定が自然で、
建物やファッションのデザインも普通で
あからさまに未来未来しすぎた空想の世界じゃないので
すんなり受け入れられる。


遺伝子操作によって
病気や性格の問題を排除した優等生(適正者)と、
親がわざと偶然という運命を選ぶか、あるいは事故で
遺伝子操作せずに生まれてきた欠陥のある者(不適正者)。
当然、能力が優れ、持病もない適正者が優遇され、
不適正者には就けない職種がある。

不適正者である主人公ヴィンセント(イーサン)は心臓が弱く、
宇宙飛行士になりたいという夢を両親に「無理だ」と否定される。
しかし、適正者である弟との勝負に勝ったことで
「不適正だから無理」という固定観念から解放され、
家を出て、不適正者が就ける仕事である清掃業をしながら
身元を偽る方法を知り
夢のために別人になることにする。

それは簡単なことではなくて、
指先の血液で本人確認ができる時代であるうえ、
検査宇宙飛行士の施設『ガタカ』では毎日のように
血液検査や尿検査がある。
ヴィンセントの細胞を少しも落としてはいけない。

ある男と契約を結び、
髪や血液などの提供を受ける代わりに金銭的援助をすることに。
その男・ジェローム(ジュード・ロウ)は
適正者だったために周りの期待が重荷になって
自殺未遂し、下半身不随で車椅子生活していた。

ヴィンセントはジェロームの血液や尿を使い、ジェロームとしてうまいこと検査を通り、
合格して施設の一員となり宇宙飛行士の夢に近づく。

ある日施設内で殺人事件が起きる。
ヴィンセントは毎日ごしごしと体中を洗い、
皮膚や髪などを残さないよう細心の注意を払っていたが
施設内で一本の睫毛を発見されてしまい、
出入りしないはずの不適正者、部外者、容疑者としてヴィンセントの捜索が始まる……


数少ないとはいえ協力者がみな優しく、
ご都合主義にも見えなくもないけど、
生まれたときに人生を予告され、決めつけられ、道を勝手に作られることに
みんな 何かおかしい、違う、と思っているのかもしれない。
だからヴィンセントを応援したくなるのかな。


私だったら、周りがほとんど適正者で
自分が不適正者だったら
どうして適正者として生んでくれなかったんだと親を恨むかもしれない。
どう考えたって優遇されたほうが得で、自分は損しているように思えてしまいそう。
でもジェロームは適正者なのに絶望して自殺未遂した。


今話題のドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」に少し重なる。
逃げ恥、大好きで毎週というかほぼ毎日観ているんだけど
このドラマでも、自分に自信がない、自分の価値が見いだせない登場人物もいれば、
イケメンと羨ましがられながらも、そのせいで

「一緒にいるとみじめになるから」と彼女にフラれる登場人物、
いろんな立場があって、
誰かが羨んでいる幸せそうなあの人も、この人も、
実はその立場になってみないとわからない苦しみを抱えている。

恵まれているかどうかって、
他人のものさしでは測れない。
自分は全然幸せを感じていないのに
誰かが自分を羨んでいたりする。
自分が憧れている人が、実は死にたいと思っていたりする。
誰かにとっては大したことない言葉が、誰かにとっては心臓をえぐられるような苦しみになる場合も。
「隠したかった性癖がバレたからって、そんな恥ずかしいことじゃないよ、気にすることないよ」
と言われたところで、知られたくなかったものを暴露される苦痛は本人にしかわからない。

この世は本当に偏見や固定観念で満ち溢れている。
勝手に「あなたの可能性はここまで。これ以上は無理」と決めつけられたり
「もっと出来るはず。頑張れ」と無責任に重い期待をかけられたりする、
そういう誰かの決めた枠を取っ払って、
それだけが人生じゃないことを、
自分には他の可能性もあることを
気づくことができたとき、
なんか本当の幸せとか達成感とかを掴めるってことなんだと思います。はい。


1997
監督:アンドリュー・ニコル

2016年7月22日金曜日

人って、未体験のことは理解し得ないんだなって話。

とりあえずTwitterに ぶゎあぁああっと
思ったこと書き込みまくってしまって、
また打ち込み直すのも面倒だし
わざわざ まとめ直しても
どんだけ執念深いんだよって感じになりそうなので
ツイートそのまま載せときます。










「自分だって大変だけど頑張ってる、だから頑張ってない人が許せない」
というのは、
自分が「頑張ってない人」だと思ってる人が
本当に頑張っていないのかどうか、ちゃんと確認してからにしてほしいし、
「自分は痛くても我慢するのに、あいつは我慢できなくて休むダメな奴」
と思ったとき、
自分の痛みと相手の痛みが同程度だとなぜわかる(決めつけている)のか、
よく考えてほしいなと思う。

何度も何度も昔から書いてることだけど、
人間は「そうに決まってる」という思い込み、勝手な決め付けをしがち。
確かめてもいないことに「絶対に」と言ってはいけない。
間違っていたとき、相手に失礼。


あとツイートの繰り返しになっちゃうけど、
ほんとに普通にただ「こういうことがあったのよ~」っていう話を
「だから俺にどうしろっていうの?」
みたいな受け取り方しかできない人がけっこう多いんですよ。
珍しくないです。

「何を求めてるわけ?」みたいなことを言われると
私の話し方が悪いのか?? と思ったりしたけど
観察してると、そういう人は誰の話にも同じようなリアクションなので
やっぱり聞き手の受け取り方だよなぁと。

なぜそこで
「俺にどうにかしてほしいと思っている」
「俺に何かを求めている」
「他力本願」
「弱さの押し付け」
だと思い込んでしまうのか?????

謎。

実際に他力本願な人間もいるでしょうけど、
そういう人にしか会ったことないのかしら。
淋しいね。


私は別に怒り狂ってこれを書いてるわけじゃないです。
落ち着いてます。
自分の思い込みに気づかずに
なんの悪気もない人を悪く言ったり責めたりする人が
いなくなれば平和なのになぁと。

本当に何度も言いますけど
確認作業をせず、相手の真意を理解せず
誤解で決別する人たち すごく多い。

世の中の人間関係の問題は、
大半が勘違いだと思う。
悪く扱われた、無視された、他力本願でむかつく、上から目線、
と思ってるそれが、実は思い込みだなんて 思いつきもしないで
仕返ししたり悪い態度をとったり辛く当たったりして、
だから相手も「なんだこの人イヤな奴だな」と思ってしまう。


「相手に必ず悪意がある」と思い込むのはやめたほうがいい。

もちろん、なんでもかんでも信じろということではない。
だけど なんでもかんでも悪く決めつけるのも
見る目がないと思う。


あらゆる可能性を考えてほしい。

2014年8月19日火曜日

親に対する不満を口にしてはいけないのか?

親の文句を言うと、
今まで育ててもらってて感謝しなきゃだめよ、みたいなことを言われるばかりで
それは確かにそうなんだけど、
だからって親の全てを認めることはできないと私は思うの。

感謝の念しかない人ばかりなのか、
親の文句って言っちゃいけないのか、
みんな幸せな家庭で育って暮らしているんだなあと思ってたら、




意外と私のつぶやきに反響が多くて
ああ、私だけじゃないんだな、と安心しました。